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これからモデルについて話そう。

地球温暖化の議論を見ていると、「モデル」ということばがよく出てくる。

たとえば、このページ。

気象研究所気候モデルによる地球温暖化のシミュレーション


気候変動のシミュレーションのために大気海洋結合モデルが開発された。このモデルにより、二酸化炭素が1985年における濃度を基準として、年率(複利)1%で増加したときの地球温暖化のシミュレーションを行った。70年後までのシミュレーションの結果を示す。



それとか、これ
地球温暖化問題の裏側 -- 田中宇の国際ニュース解説

IPCCが人為温暖化説の根拠として採用したコンピューターモデルのほとんどは、海洋温度の上昇が大気圏の気温上昇につながるという原理だが、海水温が下がっているのに大気温が上がっているとなると、このモデルの妥当性が失われる。5年間は、気候変動を計るには短すぎる期間だが、大気温の方は、ここ数年の上昇を理由に「このままだと温暖化が進んで大変なことになる」とマスコミなどが大騒ぎしているので「5年は短すぎる」と言えない。本来、IPCCは従来のモデルの放棄を検討せねばならないところだが、実際には、IPCCやマスコミは、アルゴ・モニターのデータを無視して事なきを得ている。



他には、これとか。

地球温暖化防止のために、モデルのお姉さんたちが脱ぐCM映像 -- 小太郎ぶろぐ

空気中の100万分子の中に存在する二酸化炭素分子の数は、現在390ppm(parts per million)。この値が350ppm以上だといわゆる地球温暖化という状態で、現在の390ppmから350ppmまで下げようと訴えているのが、350.orgという団体。彼らのプロモーションのために作られたこの映像では、数値をモデルさんたちの服に例えて、モデルのお姉さんたちが次々と服を脱いでいくのだ。数値が352ppmになったところで、モデルのお姉さんたちに残されたパーツはブラジャーとパンティーの2つだけ。



モデルに関しては、とにかくいろいろな人たちがいろいろなことを言っている。未来をくっきりと映し出す水晶玉のようなイメージから、詐欺師が人類をだますための手の込んだいんちきまで、幅の広いイメージを持たれているようだ。

でも、そもそもモデルって何なのか、みんな知っているのかな?

理論と観測、そしてモデル

モデルってなんなのか。でもそのまえに。

私の知っている物理系の学問のいくつかでは、研究者はおおざっぱに二つにわけられる。「理論家」と「実験家」だ。普通は「家」なんて時代がかった言い方はしない。「あの人は理論の人だからね」とか、「実験屋さんの言うことはとりあえず信じるしかないから」みたいな使い方をする。

気候に関係する地球科学では、「実験」というのはあまりないわけで、その代わりが「観測」ということになる。「理論」と「観測」の二つにわけられる。「私、理論やっています」とか、「観測なので、けっこう海外に行くことが多いんですよ」とか。

どうしてこの二つにわけるのか。それは、理論的な研究と観測的な研究で、必要とされる資質、能力、技術に違いがあるからだ。

たとえば、理論研究は、極論をいえば、紙と鉛筆があればできる。今は、それにコンピュータを付け加えようか。イスに座ってコーヒーを飲みながらぶつぶつ言いつつ研究する。昔なら、いろんな積分の知識とか、今では偏微分方程式の数値解法を知っているかとか、数週間かかった計算結果をハードディスクから間違って消してしまっても挫けない心とか、そんなのが必要になったりする。

一方で、観測研究はそもそも観測装置がないと始まらない。その場所に行かなければならなかったりする。まあ、衛星観測とかの場合は地上に座っているわけだけど。船に乗ったり、人里離れた場所に行ったりして、オフには酒でもかっくらって同僚と仲間意識を深めながら、自然を相手に格闘だ。検出器の特徴とか、いかに限られた予算で性能の良い観測装置を作るかとか、どうしても必要なときには装置メーカーに泣いてもらったりする方法とか、そんな知識が重要なわけ。

一般論の常で、この区分けはそんなに厳密なものではない。有能な人なら理論と観測両方こなせたりもするし、理論をやるにしても観測の知識が、そして、観測をやるにしても理論の知識が必要なわけだし、理論、観測どちらにも分類しがたいような研究もあるからだ。

だけど、まあおおざっぱに言って、「理論」と「観測」にわけられる。

で、モデルだ。

後で話していくけれど、モデルは基本的に理論の傘下にある。

ただ、気候学に関係する地球科学、つまり、気象学や海洋学において (そして、多分その他のいくつかの物理系学問においても)、モデルの比重というのが高まってきた。

モデルに必要な資質、技能は、理論とはやや異なる。共通するのが多いのだけど、コンピュータに関することやモデルの "癖" といったような変な知識が必要とされるのだ (ここ、今はわからないでかまいません。後々説明していきます)。

だから、「理論屋の人」、「観測屋の人」がいるように、「モデルの人」もいるわけだ。

学会の懇親会なんかで初対面の人と会ってあいさつしたりする。その時、「私、モデルやっております」なんて言われたりする。浪人生がそのままおっさんになったような人から「私、モデルです」なんて言われても自然に聞き流せるのは、上に述べたような事情を知っているからだ。

モデルへの向き合い方

ところで、モデルっていうのを説明するのは、なかなかやっかいだ。

研究者の中であっても、モデルに対する姿勢は違う。

もちろん、一般の人々の間にあるようなモデルに対する思いのばらつき、つまり、完全なインチキから未来を見透す水晶玉までのばらつき、そんな広いばらつきは存在しない。でも、姿勢の違いが存在する。

いや、もっと端的に、モデルが好きか嫌いかという違いがある。別に好きだからモデルの結果を無条件に信頼するとか、嫌いだからモデルの論文が査読に回ってきたら片っ端からだめ出しをするとか、そんなひどいことはない。ただ、研究者の姿勢の一側面として、モデルと向き合うときに好き嫌いがにじんでくることは否めないと思う。

どれだけモデルを信頼しているか、というのも、人によってかなり違う。

そもそも、研究者とモデルの関わり方は、モデルを自分で作って自分で計算して研究している人、モデルをもらってきて計算して結果を解析する人、人が行ったモデルの計算結果だけをもらってきて解析する人、モデルを研究には使わない人、本当はこの中に微妙なグラデーションがあったりするけど、おおざっぱにはこんな感じでわけられる。

で、私が見てきたところ、一番モデルの結果を信用していないのは、自分でモデルを作っている人だったりする。意外に思われるかも知れないけど、僕がいろんな人を眺めてきた感じでは、そうなんだ。例外はもちろん多いけど。

温暖化懐疑論の人がよく「IPCC の科学者はコンピュータがはき出した計算結果を無条件に信頼して云々」と批判するけど、ことはそんなに単純ではない。

これから語ること

研究者によって態度が異なるので、僕が語るモデルがどれだけ温暖化業界の意識を代表しているかわからない。多くの人がうなずいてくれることもあれば、首をかしげる人が多いことも、人によって、それは納得できない、と言われるようなことも書くだろう。

そして、多分、多くの誤解を生むだろう。これから書くことは、たとえば、「モデルなんて研究者は誰も信じていない」とか、「温暖化予測はモデルの使い方として間違っている」とか、そんな風に取られかねない微妙なことを書いていくことになる。気をつけて書くつもりだけど、誤解を生むのは避けられなさそう。

でも、いいもんね、せっかく匿名で書いているんだから、慎重に、でも誤解をおそれずに書いちゃう。

なんといっても、僕には僕なりのモデルに対する思いがあるんだ。実は、僕はモデルを作ったことはある。とはいっても、気候モデルのような複雑なものじゃない。研究者なら、ちょっと気合いを入れれば誰でも作れる程度のモデルだ。でも、作ったことには変わりなくて、そのせいである種の思い入れがある。だからこそ、是非ともこのブログで書きたいんだ。

僕なりのモデルの説明を書いていくけど、とても長くなりそうだ。どのような結末を迎えるか想像がつかない。今のところ、二部にわけて話していく予定だけど。

第一部では、モデルとは何かについて話そう。モデルとは何で、どんなバラエティがあって、そのなかでの気候モデルの位置づけを話して、さらに、気候モデルが何でできていているかを話していきたい。

で、多分しばらく間をあけて第二部を書くことになると思う。そこでは、モデルとはいったい何なのかについて話そう。第一部で説明したモデルが、研究や社会の中で果たす役割を書いていきたい。

とはいえ、第二部を終えて僕の思いを書くのはだいぶ先のこととなるので、ここで、モデルとはいったい何なのかについての僕の答えを先に書いておく。

モデルとは、未来を見透す水晶玉でも、詐欺師のペテンでもない。

それは、コミュニケーションの道具なのだ。

気候にかかわる、気象や海洋の分野の研究をしていると、いろいろなコミュニケーションシーンでモデルを使う。まず、自分との対話に使える。それも、今の自分との対話だけでなく、過去や未来の自分とのコミュニケーションにも使えるんだ。

そして、もちろん研究者同士のコミュニケーションにも使える。たとえば、研究者グループ内でのコミュニケーションにもとても有用。あとで説明するけど、モデルって得られた知見を集積していく道具として最適なんだ。そして、もちろん、研究者グループが持つ知識を研究者コミュニティに説明する際にも大事な役割を果たす。

さらに、研究コミュニティと一般社会のコミュニケーションにも使われている。一般社会の側が研究コミュニティになれていないので、今のところ、モデルをコミュニケーションに使う試みにともなってとても多くの問題が発生している。ただ、その多くの問題を考慮に入れても、両者のコミュニケーションにおいてモデルはとても重要な役割を果たしていると、僕には思える。

こう書いても、僕がモデルというものをどう思っているか、今のところはあんまりわかってもらえていないはず。だって、それは僕の個人的な思いだから。

モデルへの思いを語るために、これからいくつもの記事を書くことになる。もしお暇ならつきあってほしい。

次の記事はこちら
タグ 記事:モデルとは はてなブックマーク - モデルとは何か (1) はじめに: 私、モデルやってます
2010.05.08 Sat l 温暖化論概論 l COM(4) TB(0) | top ▲

コメント

文献紹介
英語圏で、気候モデルに関する科学史・科学論の本が出ました。モデルだけではなく気候データを集める国際的体制がどう作られてきたかも話題にしています。
Paul N. Edwards, 2010: A Vast Machine: Computer Models, Climate Data, and the Politics of Global Warming. MIT Press. ISBN 978-0-262-01392-5.
読書ノートを http://macroscope.world.coocan.jp/ja/reading/edwards_vast_machine.html に書きました。これはまた改訂すると思います。

それから、モデルを作っている人はあまりモデルを信用していないという話で、次の文献を思い出しました。
Myanna Lahsen, 2005: Seductive simulations? Uncertainty distribution around climate models. Social Studies of Science, 35:895-922.
身近なところでは http://julesandjames.blogspot.com/2006/01/prometheus-myanna-lahsens-latest-paper.html で話題になって(原論文へのリンクもあります)、原著者もコメントしていました。
モデルを作っている人はあまりモデルを信頼していないという「先行研究」がすでにあって、この論文では、必ずしもそうではなく事情はもっと複雑だと言っているようです。
統計的・実験的調査で客観的数値を示したものではなく、何かを論証した論文とも言えないと思いますが、インタビューの答えの具体例がおもしろいです。
2010.05.11 Tue l masudako ces9sP0c. URL l 編集
Re: 文献紹介
masudako さま

文献紹介、ありがとうございました。これから文章を書いていく上で大変有用な情報でした。

モデルを作る人があんまりモデルを信用していない、という話、私はなんとなくそう感じていただけだったんですが、調べている人がアメリカにはいたんですね。日本でもだれかが研究していて良いテーマだと思いますが、見たことがない。こういうところにアメリカとの差を感じたりします。それとも、すでに日本語の文献もあったりするのかな?

読みにくいブログですが、今後もよろしければコメントいただければと思います。批判的なコメントもいただけたらうれしいです。
2010.05.12 Wed l onkimo -. URL l 編集
英語って
ときどきとんでもない言葉の連想ゲームをやるようです。たとえば、よく使う log_in, log_on の log の語源は丸太です。ログハウスなんかの log はこの意味です。で、この丸太をロープにしばって船から流して、船の速度を見積もるなんてことをやってたわけですが、その記録をとることから log に記録を取るという意味が生まれました。航海日誌を log book というのはこの意味です。でこれが計算機のアクセス記録を取るという意味で流用されて login とかになってます。いまさら丸太で記録してるわけでもないのに(笑)

で、モデルのもともとの意味は、「規範」とか「お手本」ということらしいです。教育モデル校とか(モデルの養成学校ではありません)はこの意味ですね。でそこから 「模型」「見本」という意味が派生します。車のニューモデルとかファッションモデルは見本の意味からでしょう。
もちろん気候モデルのモデルは模型の意味から来ています。素粒子論とかでは標準模型という言葉があったりしますが、所詮プラモデルのモデルと同じ意味なんです。大昔は水理模型とかいう言葉があったような気もするし、数値模型、計算機模型という言葉でも全然問題ないはずなんです。
そこをモデルとか横文字もどきでいうからなんか心理的に特別扱いしがちなんではという気持ちがどうしてもぬぐえません。
2010.05.16 Sun l げお -. URL l 編集
Re: 英語って
げお様

おもしろいコメント、ありがとうございました。

英語、確かにその通りですね。ログハウスも log in も知っているのですが、日常生活でその両方を結びつけて考えることはありません。

で、モデルなんですが、これ、日本語訳が難しい気がします。「模型」と書かれることが多い見たいですが、私なんかだと「型」という漢字からなにかしっかりとした実態のあるものを想像してしまって、水理模型ならしっくり来るけど、標準模型とか、数値模型とか、なんか違うだろ、と思っちゃうんですよね。

もちろん、私の個人的な気持ちだし、また、慣れの問題もあるので模型でもいいのかも知れませんが、なんとなくモデルの直訳っぽくて日本語としてこなれていない気がします。

とはいえ、よい言葉を知っているわけでもないのですが。そして、げおさんのおっしゃるように、モデルという横文字には弊害がありそうです。
2010.05.16 Sun l onkimo -. URL l 編集

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