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西都大学出版会、温暖化懐疑論叢書

第8回配本「温暖化懐疑論叢書 第 27 巻、温暖化懐疑論文学 (I)」

付録、温暖化懐疑論のしおり (8)、より
編者は語る 第 8 回 「温暖化懐疑論文学とホッケースティック論争」

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温暖化懐疑論文学は、21 世紀の初頭、温暖化懐疑論の隆盛の時代に咲いたあだ花と言えるでしょう。

ちょうどこの頃、地球温暖化懐疑論が最大の盛り上がりを見せていました。20 世紀の終わりから 21 世紀にかけて、地球温暖化に対する知識が一般に浸透していきました。当時の気候変動に関する政府間パネル (IPCC) が第三次、第四次と報告書をまとめていくにつれ、地球温暖化が起きているとの科学的知見が確立していき、一般社会に共有されつつあった時代です。

地球温暖化懐疑論は、温暖化論が一般社会に広まるにつれて盛り上がってきたのです。第一世代の懐疑論と現在では呼ばれている当時の懐疑論は、2020 年代になって温暖化が疑いようがなくなるまで、大変な広がりを見せていました。その間には、さまざまな、奇妙でおもしろい現象が見られました。10 年あまりに渡って気候学者や研究機関を訴え続けた人が現れたり、同工異曲の内容の薄い温暖化懐疑論本のシリーズが毎年ベストセラーリストに名を連ねたりしたのです。これらの奇妙な現象については、今後、この叢書でも取り扱うことになるでしょう。

そして、懐疑論文学。これは、奇妙な現象の中でも最たるものでしょう。
懐疑論文学というジャンルは、ほとんどが一人の作家、管領海人 (かんれい・かいと) によって書かれました。今回配本の第 27 巻と、次回配本予定の第 28 巻に、彼の、ということはつまり、温暖化懐疑論文学の主立った作品が収録される予定です。

管領は、短編集「気候の門」でデビューしました。その後、立て続けに「ヒマラヤの門」、「パチャウリの門」を出版しています。温暖化研究者達のメールが漏洩した事件が Climategate 事件として知られているわけですが、処女短編集のタイトル、「気候の門」はそれにかけた冗談のようなタイトルです。続く二つの小説のタイトルも内容も推して知るべし。ですが、そんないいかげんなものでも、温暖化懐疑論者には好評をもって受け入れられました。ことあるごとに彼の小説はもてはやされ、昭和私小説文学の再来とよばれ手放しの賞賛を受けたのです。

管領は寡作な作家でした。温暖化懐疑論小説に関しては、初期の短編集の後には、雑誌に発表されるも単行本に収録されなかった数作の短編と、遺作となった小説、「マンの山」しか残されていません。

「マンの山」の舞台は温暖化から寒冷化に気候のゆくえが変化した時代の長野県の山の中、サナトリウムにやってきた、純真なる温暖化懐疑論者たる青年を、サナトリウムに集う温暖化論者の結核患者達が洗脳しようし、それに対して正しい知識を持つ文学者が青年を導く、という、どう考えてもトーマス・マンの「魔の山」のパロディとしか思えない小説です。温暖化論者が「魔」であり、また、タイトルの「マン」は、ホッケースティックの著者、マイケル・マンに掛けていたのだろうと思われます。

管領は、温暖化論者と懐疑論者の侃々諤々の論争が中心のこの小説を、後期ケータイ小説のあの読みにくい文体で書き上げました。実に 1200 枚を越えるこの大長編は、懐疑論者を驚喜させ、一方で、その他の読者達を大変に脱力させたのです。

奇妙な小説ばかりではありましたが、しかし、管領の本はかなりの売れ行きを見せました。なぜ、大して文才もないこのような人物が、一つの文学の分野を作り上げることになったのでしょうか。そして、なぜそのような小説が多くの人に支持されたのでしょうか。

温暖化懐疑論という現象の不思議がそこに凝縮されているように私は思えます。

さて、管領の代表作といえば、今回配本の 27 巻に収録されている「落ちていたノート」となるでしょう。この小編は、おなじみのホッケースティック論争を扱っています。この小説が発表された 2013 年当時の第一世代の温暖化懐疑論の中でも、重要な位置づけにありました。その後、第二世代、第三世代進むにつれ、懐疑論が生まれては消えを繰り返していきましたが、ホッケースティックだけは一貫して重要視されています。

ところで、先日とある学生さんとお話をした折り、ホッケースティック論争についてのいくつか誤解が気になりました。論争の始まりから半世紀以上にもなるのに未だかまびすしいホッケースティック論争ですが、案外、若い人たちの中には間違った認識が広がっているのかも知れません。もちろん、いずれこの叢書でも論じられるのですが、聞くところによると配本はまだ先になりそうだとのこと。ですから、ここで少し詳しくお話ししておきましょう。

20 世紀後半から 21 世紀初頭にかけて活躍した古気候学者、マイケル・マンが、1998 年に発表した論文に採録された図に付けられたあだ名がホッケースティックです。マンは 20 世紀より前の 1000 年間におよぶ北半球の平均気温を、古気候のデータを元に再現しました。このグラフ、多くの時期で気温がほぼ一定だったのに対して、20 世紀に入るあたりから急激な温度の上昇が見られます。気温が一定だった部分をアイスホッケーのスティックの柄に、急激に上昇している部分をパックを打つ部分に見立てて、ホッケースティックという名が付けられました。

温度が上昇した 20 世紀末はこの 1000 年間でもっとも温暖だったということをくっきりと示すこのグラフは大変印象的でした。2002 年に刊行された IPCC 第三次報告書にもホッケースティックは掲載され、地球温暖化の動かぬ証拠だと多くの人が思ったのです。

しかし、マン達の研究に対して批判が起こりました。といっても、学術的な、つまり、論文にでもなるような批判というのは、マッキンタイアらのものぐらいでしょう。用いられた統計学的手法に問題があったという批判を行った彼の論文のいくつかは、確かに学術雑誌に掲載されています。

さて、ホッケースティックのグラフを用いて、マン、そして IPCC が主張したのは、20 世紀の温暖化がこの 1000 年ではもっとも激しい、ということでした。科学の問題として重要なのは、この主張が否定されるか否かです。

マッキンタイアらはそうではないという結果を示したのですが、彼らの結果を追認するような研究は後に続きませんでした。

2007 年に発表された IPCC の第四次報告書では、ホッケースティックのグラフと共に、後に行われた研究が多数掲載されています。結果、20 世紀の温暖化はこの 1000 年間には見られない特異なものだった、ということが改めて示されたのでした。

第四次報告書の後も、古気候学的な研究は続いています。その結果のほとんどが、ホッケースティックと同様の結論に達しています。特に、近年、北大西洋深層水の流路を中心とする世界 40000 箇所の海底堆積物をを用いた古気候の再現プロジェクトにより、過去 900 年の全球平均気温が 0.1 度の精度で決定されました。その結果もやはり、20 世紀の温暖化は特異なものであるという結論を裏付けるものでした。

ホッケースティック論争は、もはや科学的には決着がついています。しかし、だからといって、この論争が終結を迎えたわけではありません。

何十年も前の「科学」論争が今でも続いていることが不思議に思われる方もいらっしゃるかもしれません。でも、考えても見てください。2060 年も目前の今になっても、人類は月に着陸しなかったと信じている人、アインシュタインの特殊相対性理論は間違っていると主張する人、極端な例では、地球が平らだと思っている人まで存在しているのです。ホッケースティックを気にする人が残っているのも、当然ではないでしょうか。

それに、ホッケースティック論争は、科学の問題ではないのです。本当の論点は、二つあります。

第一の論点は、科学コミュニケーションの問題です。

ホッケースティックのグラフが非常に印象的だということは否めません。そして、それがIPCC の第三次報告書に掲載され、多くの人が感銘を受けた訳です。一方で、第四次報告書のグラフからはそれほど鮮烈な印象を受けないでしょう。

よく見ると、ホッケースティックのグラフには影が付けてあります。この程度の誤差はありますよ、という目安です。古気候の結果には不定性がつきものという常識と併せてこのグラフを読む研究者達は、第四次報告書のグラフを読んでも決して不快な、たとえば、「だまされた」といったような感情を抱くことはないでしょう。

でも、専門家ではない人たちはどうでしょうか?グラフの影は目に入らなかったのではないでしょうか。黒い線で示された、非常に平坦な温度の推移を見て、近年の温度上昇を脅威に感じた人も少なくないでしょう。第三次報告書で強い印象を受けた分、そこまでくっきりとしていない第四次報告書のグラフを見た人は、納得いかない感じを受けたかも知れません。その結果として、ある種の違和感を温暖化研究者達に抱いたのではないでしょうか。

この違和感が、ホッケースティック論争が広まる土壌になったのだと思います。

第二の論点は、これが実は道徳的な問題だということです。

2009 年、クライメイトゲート事件がおきました。これは、古気候の研究が行われた研究機関である、大学気候研究ユニット (CRU) の科学者達のメールが流出した事件です。流出したメールとそれに関する研究はこの叢書でもいずれ刊行されますが、その中には誤解を招く表現と研究者の人間性を疑わせる表現が含まれていました。

プライベートなメールを流出させるのは犯罪行為です。しかし、それを読んだ一般の人たちに、温暖化研究者への不快感と疑念を抱かせるには十分でした。

クライメイトゲート事件以前からそうだったのですが、ホッケースティック論争は道徳的、倫理的な側面が強いのです。マッキンタイアらの批判も、実は科学的な論点よりも、マン達がデータの公開を渋ったことを中心に展開されました。そして、クライメイトゲート事件では、研究者達の人間性に対して攻撃が加えられています。

この論争は、最終的には、道徳、つまり、だれでもわかることに問題が単純化されました。ちょうど、管領の小説、「落ちていたノート」に出てくる小学生の少女でもわかるほどに簡単な話になったのです。

小難しい科学論争などではなく、善悪の問題に単純化されたことで、多数の人がこの論争に参加する資格を持ちました。

また、単純化のおかげでこの問題は永遠の命を得ました。科学の問題なら、21 世紀も半ばを過ぎた今、20 世紀の終わりの科学論争に誰が興味を持つでしょうか。しかし、道徳は古くはならないのです。

ホッケースティック論争は永遠に終わらない。いくら科学では決着がついたと主張しても無駄なのです。

そして、このホッケースティック論争こそ、温暖化懐疑論者の最後の拠り所なのです。科学論争で負けそうになったとき、いつでもここに戻ってきて、道徳的な高みに立って温暖化論者を批判する。

管領は温暖化論をライナスの毛布にたとえました。でも、実は、ホッケースティック論争こそが温暖化懐疑論者にとってのライナスの毛布だったのではないでしょうか。

科学の論争で負けそうになったとき、経済の議論で厳しい立場に立たされたとき、いつでも戻ることができる場所。道徳の高みに立つ心地よさにくるまれて、ぬくぬくとできる。怖い目にあっても安心、温暖化論者からは科学的には意味がないと批判されても、絶対に離さず、顔をスリスリとこすりつけ、くんくんとにおいをかぎ、ほっとできる、そんな安心毛布。

いつか、懐疑論者がライナスの毛布を捨てるときが来るのでしょうか?

そんなことはなさそうです。もうすでに 50 年以上抱きしめてきたホッケースティックを、懐疑論者達が手放す様子を私は想像するのができないのです。

ホッケースティックに変わって温暖化懐疑論の中心に据えられる懐疑論はあり得ないのでしょうか?すこし歴史を振り返ってみましょう。

第一世代の懐疑論では、スベンスマルク理論という、太陽と宇宙線が気候に影響を与えるがもてはやされていました。しかし、大がかりな観測キャンペーンの結果、宇宙線は観測できるほどの影響をもたらしていないことがわかりました。

また、太平洋 10 年規模振動 (Pacific Decadal Oscillation ,PDO) と呼ばれる現象や、北極海への大西洋水の流入で地球の温暖化を説明できるのではないかと懐疑論者は主張していました。しかし、両者とも振動現象で、温暖化に寄与するときもあれば寒冷化に働くときもあり、長年にわたる温暖化への趨勢を説明できなかったため、もはや懐疑論者さえも見向きもしなくなってしまいました。

どうも科学が中心の懐疑論は寿命があまり長くないようです。最近盛り上がっている第三世代の温暖化懐疑論においては、あらたな科学的な懐疑論が見られないわけではありません。特に、古気候データの充実や、長年の測器による観測データの蓄積のおかげで、両半球間 100 年規模振動 (Inter Hemispheric Centennial Oscillation, IHCO) や、陸水パラメータ不安定性 (Land-Water Parametric Instability, LWPI) など、従来知られていなかった 100 年以上のスケールのをもつ長期変動が提唱され、それで地球温暖化を説明しようとする懐疑論が盛んになってきています。ですが、これらの懐疑論も短命に終わるのではないでしょうか。ホッケースティックに取って代わるには力不足だと思います。

いまでも 50 年前と同じテーマで論争を続けている。温暖化懐疑論は、管領が活躍していた時代から、なんら進歩していないのです。

この先、温暖化論がホッケースティックから解放されることはないでしょう。懐疑論者がホッケースティック論争から卒業した時、それは、懐疑論の幼年期の終わりを意味します。そうなったら、温暖化論は危機に立たされるのかも知れません。でも、そんな「その時」が訪れることはなさそうです。

管領の文学は、第一世代の温暖化懐疑論が咲かせたあだ花でした。でも、彼の小説は、ホッケースティック論争と共に、永遠の命を持ち続けるでしょう。そのようなテーマを見つけた管領は、実は天才だったのかも知れません。


恩壇柿望 (温暖化懐疑論研究家)

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この小説はフィクションであり、実在の人物、組織、団体とは関係ありません。将来のできごとについては、根拠のある予測ではありません。本文中に展開されている意見は、私の意見を中心に、小説の設定に合わせて演出されたものです。
タグ 記事:ホッケースティック小説 はてなブックマーク - ライナスの毛布 (3) 2059 年版解説
2010.04.10 Sat l 懐疑論(陰謀論系) l COM(0) TB(0) | top ▲

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