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てなぐあいで前の記事までに長々と書いてきたが、要は普通の論文の書き方をしましょうよ、ということであって、余計なことを書かずにCO2 増加率 y と地表面平均気温偏差 x の間の関係が y=2.39x+1.47 であるという発見の重要性をちゃんと伝えましょう、ということなのである。

それでは槌田さんの目的、「CO2 増加が人為起源でないことを社会に認めさせる」の役に立たないではないか、と思われる方も多いと思うが決してそうではないのであって、これは CO2 増加が自然起源であることの重要な証拠であるらしいので(本当かどうかは知らないが槌田氏はそう思っているらしいので)、まずその証拠の一つをきっちりみとめさせるのが大切で (それなら本当は「天気」よりも海外の権威のある雑誌とか日本であるなら英文誌である気象集誌の方がずっと好ましいのではあるが) 、それには議論の中である程度 CO2 自然起源説に言及しつつ、これを査読付き論文として出版させたことが重要になってくるのだ。

後で考えるが、どうせ 1 本の論文だけでは CO2 人為起源説は覆せないのだ。長期戦になる覚悟でじっくりと証拠を積み上げていこう。

いずれにせよ、この記事で書いてきたことは、気象学会の査読者とまともな議論をするためにやるべきことで、いまの槌田氏の論文の状態では無意味な議論しかできず、お互い徒労感しか得られないのである。せっかく新しい発見をした (とすくなくとも槌田氏はそう思っている) のだから、それについて実りのある議論ができるようにしましょう、それはその成果を世に問う人の義務でしょ?というのが私の言いたいことなのである。

査読者との関係
さて、槌田氏はどうも査読者を敵と考えているようなのである。もちろん論文を通すための関門ではあるので、敵、というとらえ方はそんなに間違っているわけではないのだが、もう一つ、自分の書いたものの最初の読者であり、その後に続く読者の代表である、という観点も必要なのである。

そう考えると査読者の意見に噛みつくだけでは良くなくて、特に今回の裁判でも論争になっている「短期と長期の二つに分割しているかしていないか」という点についても、査読者だけではなく海の研究者さんも同じような疑念を持ったことからもわかるとおり、非常に誤解を生みやすいのであって、その意味では査読者の意見はよりよい論文にするための重要な指摘だったのであり、そのうえこの論争は今回の発見、y=2.39x+1.47 を導くためには別に必要ないのであって、指摘を受け止めていればもっとすっきりとしたわかりやすい論文になったはずなのである。

だから、もし槌田氏が自身の論文を読者に読んでほしい、理解してほしい、と欲しているのなら、一旦その査読者の意見を受け止めて、そのような誤解を生まない方法を考えるべきなのであった。そうしないと、シロウトはいざ知らず、第一線で炭素循環の研究をしている研究者たちがこの論文を読んだとき、槌田氏はバカか、と考えてしまうことになりかねないのだ。

それでもいい、と槌田氏は思うかも知れないが、本当にいいのか?槌田氏が CO2 自然起源説を世間に認めさせるための障害にならないだろうか?という点は、後の記事で考えてみるが、いずれにせよ、査読者も読者の一人で、多くの場合、論文テーマのフィールドで活躍している研究者であることが多いわけで、査読コメントに丁寧に答えて納得させることができれば、将来にわたって心強い味方になってくれる可能性があるのであって、槌田氏がその可能性を追求したようには思われないのであった。

論文受理への本当の戦い

さて、すんなり論文を受理されるため、と言って、いろいろと書いてきたのであって、それでは、以上のことをやったら受理されるのか、というと、申し訳ないがそう簡単ではないのである。

上記のことをやってはじめて、y=2.39x+1.47 という結果の重要性が議論できる段階に到達できるのである。論文として受理されるためには、y=2.39x+1.47 が新しい発見であって、かつ、そこから有用な情報が引き出せるとか、気候システムの研究に新しい知見を吹き込める、とか、なにかそういったことが必要なのである。

つまり、本当の勝負がここから始まるのである。

では、この y=2.39x+1.47 がどれだけすばらしい成果か?

槌田氏はこれを新しい結果と考えているようなのである。ただ、新しいにもいろいろとあって、研究者たちが地球の温度変化と CO2 濃度のあいだに関係があると考えすらしなかったのか、それとも陸域生態系や海水など個々の要素に着目していて全体像を見逃したのか、それとも一般的にはこのようなシンプルな関係は無いと考えられていたのか、それともすでにこのような関係は知られていたけれどもより細かく正確な値になったのか、というように、いろいろな新しさがあり得るわけで、論文の著者はこれをきちんと明確にしないといけないのである。

そして、上に述べたような書き方で序論を書いた場合、つまり、これまでの炭素循環の研究史を誠実に調べた場合、槌田氏は、今回の結果がどのように新しいのかを検討することになる。その結果、槌田氏は今のようなナイーブさでこの結果を科学的にすばらしいと言うことはできなくなると思う、ということだけは述べておきたいのである。

さて、この記事では槌田氏論文の改善について述べてきたが、次の記事以降ではこの論文を離れてもう少し視野を広げて、槌田氏が CO2 自然起源説を世間に認めさせるためにどうすべきかを考えてみるのである。
タグ 記事:槌田氏の裁判 はてなブックマーク - とほほ、提訴って (7) 論文受理のための作戦 (下)
2009.07.26 Sun l 懐疑論(研究者アホアホ系) l COM(0) TB(0) | top ▲

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