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本当の問題点

先の記事までで、槌田氏の論文の問題点を考えてきたのである。

まあ、指摘すべきする点は山ほどあって、長々と書いているにもかかわらずまだまだ言いたいことはたくさんあるのだが、記事においては論理の流れを中心に調べて、その結果、結論に至るまでに隙が至るところに見つかることを示したので、つまり論文としての体をなしていないとほほな状態であることはわかってもらえたと思う。

ところで、槌田氏論文、というより、今回の件に関する槌田氏の最大の問題は何かというと(最大の問題はいっぱいあるのだがその中で選ぶとすると)、彼が自分の欲求を満たすために論文を書いていて、目線を読者の方に向けていないことなのである。

査読が通りにくいのはそのせいなのだ。

では投稿した雑誌、『天気」の読者というのはどういう人たちかというと、気象庁関係者、大学、国の研究機関などの気象系(気候も含む)の研究者、大学院生などで、つまりは気象や気候で飯を食っているプロフェッショナルなのである。

だから、「季刊 at」物理学会誌などに書いた論文では多少??めちゃくちゃでも許されたのかもしれないが、「天気」にあのような論文を書くとちょっとまずいのである。
気象学会の会員が読む天気という雑誌に CO2 のことを科学の論文として書くのだから、それなりに気象学、ここでは気候学だが、その観点でおもしろいことが要求されるのであって、その意味ではたしかに CO2 人為起源説を否定できればおもしろいのではあるが、すくなくとも論理が一貫している必要があって、これまでに見てきたような破綻した論理で貫かれた(貫かれた、っていうのか?)論文は、読んでて頭が痛くなり、払っている学会費の対価として読まされる読者としては、金返せ、といったところなのである。

まあ、ある意味とってもおもしろかったのではあるが。

さらに、槌田氏の記事が対象とするのは主に炭素循環(carbon cycle)と呼ばれるの専門家となるはずであるが (そして、査読者にもその分野の人が含まれているとと思われるが)、彼らの目から見て槌田氏論文がどう見えるかをきちんと意識する必要があって、しかしながら槌田氏論文を読んでみるとその手の配慮がなされているようには思えないのである。

たとえば、この分野は今ものすごい勢いで進展しているのであるが、槌田氏の論文の引用されているのはなんと、ほとんどが前世紀の論文であって、最近のまともな査読付き論文は槌田氏のものを除けば 1 本しかない 1 本もないのであって、その割にはホームページなどにある自分たちの文章(査読付きの論文ではなく、文章)をたくさん引用しており、なんじゃこりゃ、なのであって、この分野の先行研究をリスペクトしつつ誠実に文献を調査したようにはとても見えないのである。

とりとめないことをいろいろ書いてきたが、まあそんなことを念頭に置きつつどのように槌田氏論文を改善していけばいいのかを考えていくのである。

とはいえ、ここから私が書こうとしているのはごくふつーの論文の書き方なのではあるが。そして、読者のことを考えて書こうよ、という、ふつーの文章を書く際の心得であるのだが。

(もちろん槌田氏の想定読者は気象学会員ではなくしろうとの読者であって、気象学会の雑誌に取り上げられたという箔をつけたいだけなのだと思われるが、あえて知らんぷりをする。それに大事なのは査読をどうやって通すかで、査読者はプロなのだ。)

目標の設定

さて、何より先に槌田氏がこの論文を書いた目的を確認しておきたいのであるが、槌田氏はこの論文を、決して CO2 濃度増加率と平均気温の関係式 y=2.39x+1.47 を求めたという結果を世間に問うために書いたのではないのである。

槌田氏の目的は CO2 増加が人為起源でないことを社会に認めさせることであって(まあ、これ自体がなにか別な目的の、たとえば反原発とかの、手段なのかも知れないけれど) y=2.39+1.47 という事実はそれを補強するための論拠でしかない。

ということで、槌田氏の最終目標、つまり CO2 増加自然起源説を広める、という観点から今回の論文をどうするべきか考えてみるのだ。

すると、この論文については y=2.39x+1.47 が成り立っているという事実を書いたうえで、すんなりと論文を通すことだけが重要なのであって、大きな目的のためには、こんな些事に長い時間をかけているわけには行かないのである。

なお、この論文で CO2 自然起源説を認めさせる必要はない。なぜかは後で述べる。

で、すんなり受理させるために大事なのは査読者に揚げ足をとらせないことであり、つっこみどころを作らないことなのであり、さらには、突拍子もない書き方をして査読者に「ぬぬぬ、なんぞ、この論文」と思われると査読が厳しくなる可能性があるので、変な書き方をしないことなのである。

このことをふまえて槌田氏の論文を見てみると、揚げ足はとられやすいは(たとえば長期変動と短期変動をわけるわけないとか、って本当は揚げ足などではないのだが)、つっこみどころは多いは(多数の誤謬)、突拍子もない書き方をしてるは(物理学会に投稿した論文が採択されるまでに 1 年半かかった、なんて記述、普通の論文には見られない)、やっぱりとんでもなくまずいのであった。

あのさあ、思いついたこと書けば論文になるってものじゃないのだから、もうちょっと考えようよ。これじゃ、通るものも通らないよ。もちろんこれまでも槌田さんが論文を書いてきたのは知っているけど、もしかして、全部腕力で通してきたんじゃないでしょうね?物理学会関係の論文で有馬さん(元東大総長)と直談判した的な話が陳述書だかに出ていたし、ちょっと心配になる。気象学会については裁判によって腕力をふるう、っていうことになるのかもしれないけど、それじゃ時間と労力と費用がかかりすぎて大変だと思うよ。

おおっと、脱線してしまったのである。まとめよう。このあと述べる槌田氏論文改善計画は、「CO2 増加が人為起源でないことを社会に認めさせるという目的の下で、いかに早く y=2.39x+1.47 を盛り込んだ論文を受理させるか」ということである。

それでは、さっさと受理してもらうためには、槌田氏論文をどう改善していくか考えてみるのだ。

過不足ないタイトル

そう考えて槌田氏の論文を読み直してみると、まずタイトルがひどすぎる。今回の論文で新しい発見といえるのは、 CO2 濃度増加率と平均気温の関係式 y=2.39x+1.47 なのだから、これをタイトルの中心にばばーんと据えるべきなのである。そして、これを過不足無く表現するのだ。たとえば「地表面平均気温と CO2 濃度変化率の数年のタイムスケールを持つ変動に見られた相関関係」などとする。このタイトルはいまぱっと思いついただけだからあまりいけてないが、考えればもっといいものもあるだろう(いいタイトルを思いついた人は教えてください)。

なお、あくまで相関関係であって「因果関係」ではないのは前も述べたとおりで、もし強く「因果関係がある」という印象を抱いていたのだとしても、この論文にある材料では多くの研究者が納得するわけがなく、まあ本文中で軽く議論するのはかまわないがタイトルに持ってきてはならないのだ。

そして、くれぐれも、 CO2 増加の起源が自然起源である、なんて言ってはいけないのであって、なぜならそのことは y=2.39x+1.47 という事実のみの情報からでは万人が認める形で示されていないからであって、強引にタイトルに盛り込むと、また論理的に破綻した論文を書かざるを得なくなってしまうのであり、査読が長引くこと請け合いなのである。

タイトルは論文の包み紙なのであって、大事なのは中身にあった包装なのだ。タイトルが大きすぎると過大包装になって無理に隙間を埋める必要が出てきて論理に破綻ができるし、過小包装にしてしまうとこんどは人にアピールできずに見過ごされてしまう可能性があるわけだが、いまのタイトルは過大包装の典型例なのであって、適切なものに取り替える必要があるのである。

てなことを書いているうちに長くなりすぎてしまった。次の記事も論文の書き方を考えてみよう。
タグ 記事:槌田氏の裁判 はてなブックマーク - とほほ、提訴って (5) 論文受理のための作戦 (上)
2009.07.17 Fri l 懐疑論(研究者アホアホ系) l COM(0) TB(0) | top ▲

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