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陳述書

先の記事まで槌田氏論文の問題(のほんの一部)を見てきたのであるが、この記事では槌田氏が裁判所に提出した陳述書を見てみたいのである。

この陳述書、私には理解に苦しむ点が多数あって、たとえば槌田氏が以前核融合発電に悲観論を述べていてほら今私の言ったとおりになっているでしょ、といった記述とか、まあたしかにそうではあるのだろうし、過去の輝かしい実績ではあるのだろうけど、今回気象学会を訴えた裁判に関係ある情報とは思えず、こういう文章の存在意義が今ひとつ理解できないのである。

だいたい、過去の栄光を強調することで判決の結果が変わったりしたら困るのであって、そうだとしたら、裁判というのは同じ事実に対して誰がやったかによって刑罰が変わると言うことで、実際はともかく、建前上は法の平等を標榜する司法にふさわしくないんじゃないかな、と思うのである。

また、情状を求めるためなのか、とも思ったが、そうだとしてもなんであんなに著名人との交流を強調したりするのか、私などは、なにをえらそーに、なんて感情を抱いちゃうのでよくわからないのであるが、これは私の器の小ささのせいなのでまあ裁判官には効き目があるのであろう。

そのほか、槌田氏の取り巻きしか支持していない温暖化論に対する反論とか、温暖化研究の歴史に対する独自の解釈とかが並んでいるのでおり、たしかに御自身の理論や信念を世間に表明することは重要ではあるが、基本的に裁判関係者と私のような物好きしか読まない裁判の資料でそれをする必要は無いのではなかろうか。

もちろん、弁護士とともに作成した文章であるはずなので、法廷戦略としては有効なのであろうが、ともかく、訴訟慣れをなさっている槌田さんの陳述書のなかで繰り広げられているのは、私には想像を絶する世界なのである。

びっくりです

さて、私が仰天した部分について話すのであるが、それは陳述書の 5 ページから始まる「5.今回の投稿論文について -- 気温が CO2 濃度年間増加量を決めるという事実の発見 --」と題された節の中にあるのである。

この節は、最初に、論文が不受理になった理由として「天気」編集委員側が短期変動について自然変動で説明できても長期変動については説明できてないでしょ!と言っていることに対して、槌田氏が、手法は長期と短期を区別していない、と主張していて、ここでわかるのは、気象学会側と槌田氏側の完全なる断絶、ディスコミュニケーションである。

そして、槌田さん側は、この論文は査読者から科学的に高い評価を受けていた、と主張するのだが、それにたいする気象学会側の見解は、槌田さん側弁護士さんのホームページにある被告側の答弁書(こちら)の中に書いてあって、

原告が「科学論文としての、それも高いレベルでの科学論文としての評価を受けていた」、「これが科学論文として完成されたものである」と主張するのは、査読者のコメントの一部を拾い上げ、原告が思い込みにより判断したに過ぎない


なんて、にべもない書き方がされていて、ここでも両者の間には完全なる断絶があるのである。

つまり槌田氏と気象学会の歩み寄りが不可能であるということが決定的にわかるわけで、それはいいのであるが(いいのか?)、槌田氏の文章に戻って、私が仰天したのは次の部分なのである。

この事実(onkimo 注: 現在の地球の平均気温は CO2 増減がない状態に比べて 0.9 ℃高い [=0.6 度 + 1971-1990 の平均気温より 0.3 ℃今の気温が高い] という事実)を含み、その意味を解説する論文を近藤氏と私は共著論文「CO2 濃度の増加は自然現象」(甲2)としてまとめ、2008 年 4 月、被告の機関誌『天気』に投稿いたしました。その後 2 度の査読者 (A と B) のコメントにより審査がなされました。そこで私どもは、査読者の 1 度目のコメントに基づき改訂した論文 (甲3) を、査読者に受け入れられた「事実に関する部分の論文 (I)」と査読者に受け入れられない部分が残った「考察の部分の論文 (II)」の二つに分割し、2008 年 11 月 26 日、前者を再改訂稿 (甲4) として提出し (甲8)、後者はさらに書き直すことにしました。

しかし、査読者に受け入れられたはずの論文 (I) (甲4) について、2009 年 2 月 12 日、編集委員会は掲載不可と判断したのです。<以下略>


この記述を要約すると、槌田氏が気象学会に提出した論文(甲2)とその第一次の改訂稿(甲3、以下、槌田氏にならい単に改訂稿と書く)には、事実に関する部分と考察に関する部分両方があった、ということであり、第二次の改訂稿(甲4? 甲 8? 以下、再改訂稿」とする)には事実の部分だけが残された、ということになっているはずである。

この記述を含む槌田氏の陳述書と槌田氏の再改訂稿を参考にすると、改訂稿までの稿は、次のような構成になっていたように読める。

1. CO2 増加率と気温との間に相関関係がある

2. この相関関係を生み出すメカニズム (私には何が書かれているのかわからない)

3. 結論: CO2 の増加は人為起源である

論文の流れは、1 という結果が得られ、これは 2 というメカニズムがあるから、3 である、ということになっているはずであって、この時点では槌田氏論文は論理的誤謬は無かったのである。っていうか、無かったよね?無かったんじゃないかな?無かったと、思いたいです…、えーと、

とにかく、話を進めるためにここでは、改訂稿時点では誤謬はありませんでした、って認めてください、おねがいしますっっ!!!

で、誤謬のない改訂稿では、2 は重要な役割を、1 は 2 であるから 3 が導ける、的な役割を果たしていただろうから、この論文の論理構成には不可欠な部分であったはずである。

そこから 2 を取り除いた。それで再改訂稿において論文の構成は 1 すなわち 3、とした。

ここに私は仰天したのである。どーしてそうなるの?????

だって、それなら 1 だけに話をとどめておくべきで、3 を、つまり「CO2 増加は自然起源である」を結論に持ってくるのはまずいだろう。槌田氏のやっていることは次のような感じ。

槌田「おらおら、CO2 の増加率と気温の間にこの通り相関関係があるだろう。それは、かくかくしかじかの理由で、だから CO2 の増加は自然起源なのだ。わかったか。結論認めて論文掲載しろ」

気象学会「ええっと、大変申し訳ないのですが、かくかくしかじかの部分はまずいです。CO2 と気温に相関があることは認めますが、このままでは論文を受け入れることはできません。」

槌田「なんだと、仕方ねーな、それじゃ、CO2 の増加率と気温の間の相関関係で CO2 の増加が自然起源だ、って書き換えてやろう。かくかくしかじかの部分は抜いたから文句ないだろう、さっさと受理しやがれ」


ということで提出された再改訂稿、大事な部分がすこーんと抜けてしまった論文がどんな困ったちゃんになってしまったかは、前々回前回と見てきたとおりで、誤謬の総合商社状態なのである。

これを受理しろというのは、まったく、どちらのジャイアンさまでいらっしゃいますか、という話なのであり、この場合、 もし受理されたなら槌田さんが気象学会よりも腕力が強かったからであって、たとえば理事なり「天気」編集担当なりのスキャンダルを握っているとか、金を積んだとか、そういった類の腕力が必要になるわけだから、そう考えると訴訟は受理させるための手段としては確かに合理的なのである。

まあ、勝訴できるか否かの問題があるが。

Wikipedia では分類不能?

ところで、先の記事ではいろいろ誤謬を見てきたが、この陳述書で槌田氏がやらかしているのはいったいどういった誤謬なのだろうか?一度形式的に論証を成立させたら、その前提が否定されても結論は保証される、というのは。

Wikipedia の「誤謬」記事を探してみたけど、そんな誤謬どこにも書いてなかったのである。

槌田氏はだれも考えなかったような斬新なことをやっているのであろうか?

もちろん、前提が否定された、つまり前提のない論証なんてものはそもそも論証ではないのであって、誤謬に分類するのは不可能なのではあるが、一方で「詭弁」の何か、たとえば wikipedia の「詭弁」ページに説明してあるなにかに当てはまるのかも知れないので、これは読者への宿題としておくのだ、って別に私が答えを知っているわけではないのである。

まあともかく。この前の二つの記事で見てきたとおり、奥歯に物を挟みつつオブラートで何重にもくるんだ言い方をするならば、槌田氏はかなり大胆な論証をなされているのであって、気象学会はそこまで大胆ではないのであり、この論文を受理するのは無理なのであった。

なお、改めて強調しておく。槌田氏は訴状の中でメカニズムの科学的妥当性云々を執拗に議論しているが論文の受理不受理にはその点はどうでも良いのであって、再改訂稿の中には結論を正当化できるだけの十分な証拠がそろっておらず、つまり論文としての体裁が整っていないことが問題なのである。まあ、査読氏はどんな判断を下しているのかは実際のところ知らないのだが。

さて、私は法律には詳しくないので実際の裁判がどう進むのかは全くわからないのであって、もし槌田氏の論文にかんして気象学会は受理せよ、という判断が下りたら私としてはかなり司法に絶望するのではあるが、ただ一つ言えることは、もし槌田氏の主張が通っても、その勝訴が槌田氏にあまりメリットをもたらすものではない、ということである。

まあ、勝てばお金はもらえるから、それはとってもうれしいことだけどね。でも、とりあえずそれは置いておいて。

なぜ槌田氏にメリットがないのか、槌田氏はどうすればよいのか、ということを次の記事以降で考えてみよう。
タグ 記事:槌田氏の裁判 はてなブックマーク - とほほ、提訴って (4) 槌田氏の陳述書
2009.07.13 Mon l 懐疑論(研究者アホアホ系) l COM(0) TB(0) | top ▲

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