上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
はてなブックマーク - スポンサーサイト
--.--.-- -- l スポンサー広告 | top ▲
ブログでこんな駄文を綴っている私にも、大学生時代には友達がおりました。最初にそのお話をいたします。


その友達は、私のサークル仲間でした。彼は真面目。朝早くの授業でもちゃんと出席して、きちんとノートを取っておりました。一方の私は不真面目。午前中はおきられないおねぼうさんでございます。

当然、試験前には、彼のノートに大変お世話になるわけです。彼のノートは「スーパーファイン」と不真面目仲間のあいだで呼ばれておりました。きっちりとられたノートが「ファイン」だったのは言うまでもございませんが、もっと大事なことに、ノートの字も「ファイン」、つまり、大変細かい字だったのであります。私のような貧乏学生にとって、それがコピー代の節約という観点からも、大変「ファイン」だった、ということは申すまでもございません。


そんなノートを取ってくれる真面目な友人だったのですが、決して「ファイン」なやつではありませんでした。いえ、はっきり申しましょう。大変困った奴でした。

私とその友人が共に取っておりました授業に、きまぐれにレポート課題を出す、K 先生の講義がありました。朝早くの授業だったので、当然、私の出席率は低いわけです。

ある日、彼に「ねえ、今日、K 先生、レポート出した?」と尋ねました。最近レポートがでていたことから、その日は課題が出ていないだろうと予想していたのですが、念のため聞いてみたのです。

しかし、彼の答えはちがいました。私は彼に課題を聞いてその日のノートを借り、締切りである次の週のその講義までレポートを用意したのです。

彼の言ったことがウソだったのがわかったのは、次の週の K 先生の授業において、でした。

別な日のこと。やはり、K 先生の授業を自主休講致しました。すると、私の友達が、

「今日はレポート出たよ」

と言うではありませんか。今度はだまされないぞ、と思った私。本当にレポート課題が出ていたことを知ったのは、次の週の K 先生の授業でありました。

------------------------------------

以上はまったくのフィクションです。だれも私の正体をご存知の方がいらっしゃらないから言えますが、私はとても真面目な人間でございます。上の話が本当にあったことだなんて、だれにも断言できようはずがございません。

さて、冒頭のおはなしですが、ときたま昔話のパロディとして聞く、「逆オオカミ少年」の話、となりましょうか。オオカミがくるぞ、といつも嘘をついていた少年の話を信用しなかった村人の方がオオカミの被害にあう、というお話のことでございます。

ですが、私がここで言いたいことはオオカミ少年のパロディなんかではなく、「ホントとウソが適度に入りまじっている状態がいちばんタチがわるい」ということでございます。彼がホントのことしか言わない友人なら、なにも迷うことなく彼を信頼すればよい。一方、その友達がウソしか言わない場合は、実は、それはそれで実は扱いやすいものです。彼の言うことをひっくりかえすことによって、ホントのことがわかるわけですから。

しかしながら、ホントとウソが半々だった場合には、手のほどこしようがございません。何を信じることができましょうか。だから、彼はとても困った友達だったのでございます。思いだすと今でも悔しく思います。まあ、彼のノートは完璧に信用できたので、これは逆恨みの部類に入るわけですが。

さて、今日は武田邦彦さんの本、「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」のお話をいたしましょう。

武田邦彦さんは、このブログを見にこられる方ならおなじみかと思います。本の裏表紙によると、東大の教養学部を出られて、名大の教授になられ、現在は中部大学の研究所の教授をされているとのこと。さらに、内閣府原子力安全委員会専門委員、文部科学省科学技術審議会専門委員などの仕事もなされている、肩書を見るかぎり、信頼のおける方。もちろん、ブログ界の片隅を匿名で駄文を書いてよごしておる私などとは、信用度に格段の違いがあることは申すまでもございません。

その武田さんが著されたのが、この「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」でございます。私がこの本を見つけたのは、通勤経路にある駅の大きな書店でした。書店の理工書ベストセラーの中に入っていたこの本は、目立つ場所に平積みされておりまして、人気のほどがわかります。

これは、エポックメイキングな本だと何かで読んだ記憶がございます。なにやら、この「環境問題は~」によって、出版社が「反環境本」が金になる、ということに気づいたのだ、と。私はむかしからこの手の本をウォッチしていたわけではないので、この話の真偽のほどはわかりませんが、でも、読んで納得させられました。

それでは、本自体の説明をいたしましょう。

表紙では,暗いイメージの写真の上に赤字のゴシック文字的な字体で書かれたタイトルがあしらわれておりまして、おどろおどろしさが醸しだされています。表紙には英語のタイトルも記されております。"The lie of an environmental problem" となっておりまして、本文中ではいくつかの環境問題があつかわれているので私にはこの文章中の 'an' にいささかのひっかかりがあるのですが、まあその違和感は、私の拙い英語力が原因なのでありましょう。

表紙に用いられた写真には、手のひらにつつまれた小さな地球儀が写っております。まるでなにかが地球をあやつっているかのよう。その地球の上に、「京都議定書ぐらいでは地球温暖化は止められない」「ダイオキシンはいかにして史上最悪の猛毒に仕立て上げられたか」「官製リサイクル運動が隠してきた非効率性と利益誘導の実体とは」など、こころ騒がせる言葉が被せてございます。

また、表紙の下の方には、「錦の御旗と化した「地球にやさしい」環境活動が、往々にして科学的な議論を斥け、人々を欺き、むしろ環境を悪化させている!」との文句。私のような人間がいかにも買いたくなるような表紙の出来になってます。当然、購入いたしました。

さて、この本を読んだ私、武田さん信者になりそうでした。

ええ、私、とっても正直で素直な性格をしております。ここまで隠しておりましたが、実は、私、まれにみる善良な人間なのでございます。武田さんの本を頭から信じてしまいそうになるのも無理もございません。

もちろん、地球温暖化をあつかったあたりについては、違和感を感じてはおりました。しかしながら、その他については、ころっとだまされました。だまされた、というのは少々お行儀のよろしくない言葉かもしれません。なんと言えばよろしいのでしょうか、とにかく武田さんのおっしゃることに激しく同意しておりました。

つまり、読みおわった時には、「リサイクルは無駄だ、あんなの利権の温床だ!」「ダイオキシンは騒ぎすぎだ!」「エコバッグなんて意味無い!」「これまでだまされていた!目からウロコが落ちた」などと考えておりました。

この本に対しての全体的な感想ですが、次のようなものでございます。

まず、文章がお上手だと感じました。とても歯切れがよく、読んでいてストレスを感じません。本当はそのように書かれてはございませんが、なにやら「べらんめえ調」の文章を読んでいる気がいたしました。

さらに、武田さんは、攻撃対象を上手に選ばれています。私見ですが、矛先をマスコミと官僚という権力に絞って向けておられます。その他、たとえば、科学者などはあまり非難していらっしゃらない。非難しているとしても、この二つにからめている。マスコミと官僚は、このご時世、とっても批判しやすい対象だと存じております。これも、文章の歯切れのよさに一役買っているようでございます。つまり、マスコミや官僚がなんのためらいもなく、読者と著者が一緒になって、気持ちよく叱り飛ばすことができる対象なので、歯切れが良くなる、という仕掛けでございます。

さらに、文章に説得力を持たせることがお上手です。適度な量の適切な証拠を用意して、それを過不足ない、つまり、くどくも、もの足りなくもない分量の文章で引用されております。そして、その後に続くのは、さきにも申しましたような、ばっさりと歯切れのよい断定口調で書かれた環境保護論への否定です。

否定を導く議論には、わかりやすいデータのほかには、常識しか登場いたしません。小難しい科学知識など出てこないのです。しかしながら、この常識、というのが、ちょっと高級な、つまり、普段の生活では使わないようなもの、中学校や高校の時に潜在意識にすりこまれたあとは、ずっと忘れていたような常識でございます。例をあげれば、「アルキメデスの原理」がございます。これは水に浮いた氷が溶けても、水面の高さはかわらない、ということを説明するものであります。このような常識が出て参りますと、本を読んだ素直な私などは、これなら専門家も忘れているかも知れない、もしくは、マスコミの報道を鵜呑みにする一般人は、こんなこと知らないだろうな、などと微笑みながら、そのような知識を持っている自分に満足をおぼえるわけでございます。

歯切れの良い文章、高級な常識の指摘、権力への批判。なんとも強力なラインナップでございます。私は、なんら心にわだかまりののこることなく、武田さんと一緒に結論に飛びつくことができました。

この本のすごさを述べてまいりましたが、もうひとつ、私が最もすごいと思うことを指摘致しましょう。

この本では、ウソとホントが良いあんばいで混ざっております。いや、ウソ、というのは失礼な言葉かもしれません。ウソのかわりに片仮名書きの「マチガイ」としておきましょう。この一連の記事では、事実と異なること、として、この「マチガイ」、という言葉を使いたいと思います。「マチガイ」には、故意のウソ、錯誤、誤解から、武田さんが意図しなかったものの、読者が勝手に抱いた誤解まで含めたいと思います。つまり、「マチガイ」とは、事実とことなることではありますが、かならずしも著者の武田さんに責があるものではないこととしたいと思います。一方、事実のとおりのことは、「マチガイ」の相手としては少々すわりがわるいですが、「ホント」ということばを使いましょう。

ということで、あらためて申しますと、この本にはマチガイとホントが良いあんばいでまざっております、とあいなります。このような本は、事実と異なることばかりが書いてある本よりも、だまされやすいものです。

たとえば、先程、私はこの本を読んで、「リサイクルは無駄だ、あんなの利権の温床だ!」「ダイオキシンは騒ぎすぎだ!」「エコバッグなんて意味無い!」と感じた、と書きました。その後、いろいろと調べてみたのですが、このような感想の中には、私の中でマチガイとしたもの、ホントと認めたものがまざっております

本記事の冒頭の小話を思いだしていただけますでしょうか。この手の、事実と、事実と異なること、両者がよく混ざった情報から正しいことだけを得るのは、大変困難でございます。もとより、マチガイばかり書いてある本などございませんが、それでもこの武田さんの本には、他に読んだことのある温暖化懐疑本よりも数段よい具合にマチガイとホントがまざりあっております。

さらに申せば、このような作りの本は、一方で、的確な批判を加えることも大変難しくなっているのでございます。ホントを避けて、マチガイのみ指摘することが、まったく容易なことではございません。まことに見事です。

私には、このマチガイとホントの混ざり具合がなにやら最上級の霜降り肉のように思えてなりません。

この本の中のマチガイを指摘することは、霜降り肉から、あつかいにくい包丁を持って、脂肪のみを取りのぞく作業のように、私には思われるのであります。

そして、読む側はいかがでしょう。もしかしたら、ガチガチにホントだけが書いてある本よりも、多少のマチガイがまざっていた方が、口あたりがやわらかいのかもしれません。もしくは、読者の誤解、というマチガイを恐れない、その思いきりのよさ、それがなめらかな読み心地をもたらしているのでしょうか。そのなめらかでやわらかな口当たりに、マスコミや官僚を叱りとばす壮快な文章、というスパイスが利かせてあります。人によっては、ミディアムレアに焼かれた最上級の松坂牛を味わうような快感を覚えた読者の方もいらっしゃったのではないでしょうか。と申しましても、残念ながら私は松坂牛の味など知らないのでございますが。

すでに大変長くなってしまいました。この感想文は三度にわけて掲載したいと思います。次回の記事では、武田さんの本の中の、地球温暖化問題について、考えることにいたします。武田さんの本のすごさを、常識を駆使した議論、マチガイとホントのブレンドについて具体的に見ることにいたします。そして、いかに批判が難しいか、調べる予定でございます。

今宵はここまでに致しとうござりまする。

(初回の投稿時より、数回の修正を行いました 2008/9/23)

タグ 記事:環境問題はなぜウソがまかり通るのか はてなブックマーク - 最上級の霜降り肉---「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」を読んで(1/3)
2008.09.22 Mon l 読書感想文 l COM(1) TB(1) | top ▲

コメント

承認待ちコメント
このコメントは管理者の承認待ちです
2013.10.17 Thu l . l 編集

コメントの投稿












       

トラックバック

トラックバックURL
→http://onkimo.blog95.fc2.com/tb.php/23-531279c8
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
 実は、先のエントリには正確性を欠いていました。 もともとツバルは1897年にイギリスが信託統治したときには水面下だったのだ。それを第二次世界大戦の時にアメリカ軍が1500mの飛行場を作ったことで陸地になったところである。少しは歴史を勉強して欲しい。  正確には「
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。